歴史シンポジウム
「歴史が動いた二つの拠点 難波宮と大坂城」

「難波宮と大坂城」参加レポート(^0^)



概 要
難波宮から大阪城の一帯は、わが国の歴史がたびたび激しく動く舞台となりました。この歴史シンポジウムでは、なぜこのエリアが激動の舞台となったのか、またこの地域の持つ意味・重要性などについて議論を深め、その魅力を探ります。
日時:平成14年10月28日(月) 開場17:30/開演18:30〜21:00
会場:NHK大阪ホール
主催:NHK大阪放送局 大阪市
出演:【パネリスト】中尾芳治(帝塚山学院大学教授) 渡辺武(大阪城天守閣名誉館長) 【司会】松平定和アナウンサー


プ ロ グ ラ ム
〈 第 1 部 〉
基調報告1 「国際都市と難波宮」 中尾芳治
貴重報告2 「大阪城を舞台に歴史は動いた」 渡辺武
〈 第 2 部 〉
パネルディスカッション「歴史が動いた二つの拠点 難波宮と大坂城」
【パネリスト】中尾芳治(帝塚山学院大学教授) 渡辺武(大阪城天守閣名誉館長) 【司会】松平定和アナウンサー


感 想 レ ポ
開場前から予想以上の行列ができていて、9割ほどの客入りでした(^^) 入場時にプログラムをゲット。概要やパネリストのプロフィール、地図や図面などの関連資料、関係年表が載っています。ステージには巨大なスクリーン(スライドふう)があり、オープニングの演出や、公演時には参考資料の地図や写真が随所でわかりやすく映し出されました。



基調報告1 「国際都市と難波宮」 中尾芳治

難波宮は、首都や副都として日本古代史上に大きな役割をはたしたにもかかわらず、その所在地や具体像が長らく不明であったために「幻の都」と呼ばれた。1954年に始まる山根徳太郎を中心とする発掘調査は、難波宮が“大化改心”以来一貫して大阪城南の地に営まれていたことを明かにして、江戸時代以来の論争に終止符を打った。

T 難波遷都と難波宮の造営(難波宮関係年表)
U 難波遷都の理由
1.東アジアの国際情勢
隋・唐の中国統一と対高句麗戦争を契機として政治的・軍事的緊張の高まった東アジアの国際情勢に対処するために、朝鮮三国と日本ではいずれも権力の集中を目指して政治改革が行われた。
2.古代難波の地域的特質(「都市」的様相)
(1)交通の要衝 国家的港津地帯としての難波(摂津職・国)
            内外交通のターミナルとしての「難波津」
            淀川・大和川二大水系の交点「難波の堀江」
(2)外交・内政の要所 「大郡」「難波館」、「子郡」
(3)経済の中心 「難波の屯倉」、
            中央豪族の「住吉の宅・難波の宅・大津宅の倉」
(4)仏教文化の伝来地 難波大別王寺(577年)
                四天王寺(593年) 安曇寺(653年)
(5)渡来系氏族の集住 難波吉士一族
                (6世紀に海外交渉・屯倉の管理に活躍)
V 難波宮の発掘(1954年〜)
1.難波宮跡の所在地論争(上町説と下町説)
2.山根徳太郎を中心とする発掘調査とその成果
(1)前期難波宮跡 造営年代と難波長柄豊碕宮との関係
             1999年、「戊申年(648)紀年銘木簡出土
             難波長柄豊碕宮造営の意義
(2)後期難波宮跡 聖武朝の難波宮再建
             長岡京遷都と長岡宮への移建
W 難波宮跡の保存と活用
1.1962年以来の5回にわたる保存運動の結果、現在、宮跡中心部約10ヘクタールが国指定史跡として保存。
2.1985年「難波宮跡公園」化と特別史跡大阪城跡との連続一体化構想。
3.2001年11月、大阪歴史博物館開館。
4.大阪アクロポリス計画と遺跡エンジニアリング


貴重報告2 「大阪城を舞台に歴史は動いた」 渡辺武

大阪城の歴史は、それに先行する大坂(石山)本願寺の興亡を前史とし、秀吉の築城から落城にいたる豊臣時代、徳川幕府の再築から明治維新の落城にいたる徳川時代、さらに、その後の大坂城跡の時代から成る。それぞれの時代にこの地でくりひろげられた歴史事件の数々は、大阪にとってのみならず、日本史上に重要な意味をもった。まさに、大坂城を舞台に時代は動いた。

T 中世の法城・大坂本願寺の最期
1.蓮如の大坂御坊創建(1496年)
2.大坂本願寺と寺内町大坂の繁栄
3.「石山合戦」と本願寺の大坂退去(1580年)
4.信長の「大坂」へのこだわり
U 天下統一の拠点
1.秀吉の大坂築城(1583〜1598年)
(1)大坂を選んだ理由
(2)築城経過と規模・構造
(3)黄金の城の実態
2.城下町大坂
(1)いわゆる大坂遷都構想
(2)初期の城下町計画 付.天満本願寺誘致と京都移転
(3)城下町計画の転換
3.大坂城を拠点に統一
V 豊臣から徳川へ−関ヶ原・冬の陣・夏の陣
1.秀吉没後の豊臣政権を大坂城
2.関ヶ原以後の大坂城と城下町(1600〜1614年)
3.大坂冬の陣−外堀破却(1614年)
4.大坂夏の陣−大坂落城・豊臣家滅亡(1615年)
W 徳川幕府滅亡−大坂城炎上
1.徳川幕府の大坂城再築・城下町復興拡張(1620〜1629年)
2.大坂城代70代
3.幕末維新期の大坂城
4.大坂城炎上−「大坂幕府」の終焉(1868年)
5.大久保利通「大坂遷都論」とその後の大阪城
X 大坂城跡の保存と活用
1.大坂城跡の近代史
(1)陸軍基地
(2)大阪城公園造成と天守閣復興(1931年)
2.特別史跡大坂城跡の保存と活用
(1)大阪城復興委員会と応急修復(1953年)
(2)特別史跡指定(1955年)
(3)大阪緑化100年宣言以後の大阪城公園整備
(4)今後の課題−豊臣時代の遺構発掘と公開、その他


感 想 レ ポ
上がプログラムより。両氏ともこれに沿って「時間が短い〜」と足早な基調公演に(^^;; 上のキーワードに説明が加えられていきました。ある程度の予備知識があると、大まかな歴史を知るにはわかりやすかったと思います。難波宮・大坂城それぞれの簡略史を短い時間でそれ分だけ掴ませていただきました(^^)



パネルディスカッション「歴史が動いた二つの拠点 難波宮と大坂城」
中尾芳治 渡辺武 松平定和

T 難波宮が拠点となった理由
U 希有の思想家、戦国大名が大坂を求めた理由
V 難波と大坂の力
W 歴史を動かす国際ステージ・大阪の胎動


感 想 レ ポ
現在NHK『その時歴史が動いた』等で活躍中の松平アナ登場(^^♪会場人気ありました。息づかいがしんどそうでしたが(汗)良さはベテランアナの安心感ですね(^^) 全体をとおして何度か発していた“ポテンシャリティ”という単語の意味がよくわからなかったので(^^;;家帰ってから調べてみると“潜在能力”という意味合いのようです。

■信長がこの地を求めた理由に地理的状況、そして水路の充実をあげる渡辺氏に同調する中尾氏。古代と近世の共通性がここに垣間見えました。
■古代-近世のつながりとして〈秀吉の大坂城本丸の石垣〉の話が面白かったです(^^) 大坂本願寺経由で石垣に使われた古代の“礎石”を続々発見。ただし長岡遷都で移築時に持っていくのが普通であるし、証拠がないので、難波宮のものかどうかは断定できないと念を押される中尾氏でした。
■中尾氏は持論の大阪アクロポリス計画を提唱。「都市としての大阪は難波宮にルーツあり」「地域的な特質を大きなバックボーンとして生きている」体言している遺跡を生活に活用していこうと語られました。
■「今後も保存と活用に力を入れる大阪城」との渡辺氏曰く「大阪という町は極端」。「歴史の重層性を無視して新しいものに飛びつく」と(笑) 先端性を望むエネルギーで落ち込んでもまた最先端へ!と語られました。

松平アナも「大阪の持つポテンシャリティで!」「パワーで!」とまとめ☆ 9時少し過ぎまで盛り上がったディスカッションでした。何よりまず「地理的」環境・状況が人に歴史に関わる要因は大きいものだと再認識(^^) また、未来を考えるために歴史を振り返ることの大切さも理解しやすく感じました。今後とも発掘研究が楽しみな、歴史が動いた二つの拠点をもつこの地域に、いっそうの愛着がわいたシンポジウムでした(^0^)/ [2002/10/30]




関連リンク   難波の歴史の部屋   「日本の歴史を難波宮まで」コーナー
「史跡難波宮」コーナー   「大阪歴史博物館」コーナー   「大阪城」コーナー

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